3/6「シュタイナー子育てからヒントをもらうお話会~のびのび育つ 個性と才能の根っこ~」


話し手の西岡妙子さんのブログからシェアします。

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シュタイナー幼児教育 “体験談” の会では、毎回、参加者の疑問・質問をうかがってから、友人の西村さんと私の経験談をお話ししています。

●ここ2回重なったのが、〈「ほめる」に気を付ける〉ということ。

励ましたいからつい「ほめる」。でも、ほめるって実は難しい技法で、素人が手を出せるもんじゃないと、私たちは思っています。

ほめる、というのは、ある価値観に基づく評価の一種ですね。

お話の後で、「おしっこできたり、ごはんを全部食べたら、「お兄ちゃんだね!」とほめていますが、これはどうでしょうか」という質問がありました。

私たちの回答は、「ビミョーですね。in and out かな」というものでした。

でもまず、意識して自問できたところで、大人として一つ大きなステップを踏んでいますね、とお伝えしました。

さて、「お兄ちゃんだね」この言葉の裏には、どんな価値観や期待が隠れているでしょうか。

お兄ちゃん=えらい。赤ちゃん=すごくない。赤ちゃんは、何もできないから。何もできないのは、すごくないから。

例えばそんな価値観だとします。

そうすると、病気やケガ、老い、あるいは先天的な障がいで、「何もできない」という状況になった方について、それを「すごくない」とする価値観をも、あなたは是としますか?

それとも、その人たちは「特別だから、できなくてもいい」なのでしょうか? 何かができた時だけ、私たちは「エライ」のでしょうか。

そう考えると、かわいらしい「お兄ちゃんだね」の言葉の裏にある複雑な背景を、実感として受け止めることができると思います。何気ない言葉の中に、とんでもない価値観が無自覚に隠れていたりするものですね。

この「無自覚」がとても厄介なのです。

某シュタイナー保育園にも勤めている西村さんは、おしっこできたら「おしっこできたね。」全部食べたら「全部食べたね」と、事実をそのまま言うこと、そして「ほめるのではなく、一緒に喜びましょう!」と提案していました。

● そして昨日のお話会の後。

トイレに行ってくるから、ちょっと待っててね、と言い残してお母さんが去り、1歳児はしばらくして気づいて、泣きながら探し始めました。

私は役得……とばかり、その子を抱っこしていて、ほどなくしてお母さんが現れ、「ごめんごめん」と言いながら、その子を抱っこしてあやしていました。

そしてしばらくして彼女が「今の、ごめんっていうの、どうでしょう」

聞いてみると、「その言葉がしっくりきていない。本当は、ゴメンとは思っていないけど、便利だから使っている。トイレくらい一人で行かせてほしい、っていう気持ちもある」とのこと。

「あと、4月から職場復帰するから、毎日子どもにゴメン、と思ってて、その辺も引っかかってるのかなあ……」と。

そうかもしれません。何気ないひとことが、ずーっと心の奥深くにつながっていますね。

「ゴメン」に代わる言葉はあるかな?「お待たせ〜」とか、「寂しかったね、でももう来たよ」とか「待っててくれてありがとう」はどうかな。

気持ちにぴったり寄り添う言葉って、なんだろう。丁寧に言葉を探す姿は、作家か、詩人か、コピーライターのよう。

お母さんは言葉を紡ぎ、それを子供は吸収して、自分の言葉を獲得します。育児ってなんてクリエイティブ!

そうやって「問いを立てる」ことの、地道な積み重ね。自分自身の言動に、自覚していくこと。

それこそが、15歳児育児中の私たちが今でも使っている基本的な姿勢です。

●ご感想より

『子供は親に褒められたい→ほめられたいから頑張る→親がほめてくれる生き方をしよう……それは、自分の人生ではないな、と思いました。母親の私が、そうなので。』

●シュタイナー教育は、宗教ではありません。

なので、「信じる」ものではありません。

人生の問題は、考えて答えが出ないことのほうが多い。それでも生き抜いていくために、人間の生活に宗教は必要でしょう。

でもシュタイナー教育は、哲学であり、「シュタイナー先生はこう言っているけど、違うんじゃないかな」と疑ったり、彼の論理を実践したら、その整合性を実際自分で確認してみることが大切だと思います。

もちろん、私たちがお話会で話すことも、「試しにやってみて、本当かどうかを確認する」をぜひやってほしいと思います。異論反論、大歓迎です。

そうやって物事は磨かれ、深まっていき、私たちは自由になっていくのですから。

【手仕事】

Umiのいえ 

4/25(木)こびと(縫物?)

4/28(土)虹染め(染色)、フェルトポーチ(羊毛)、積み木(木工)

ブログ → https://www.wonders.fun/