ちょっとしたきっかけで
泣きだした子。
そこから、しつこくお母さんにからむ。
(私には見慣れた風景です)
わーわーぎゃーぎゃー
お母さんの服をひっぱり
わけわからんことを言う。
お母さんをけったり叩いたり
うまく表現できない気持ちを
子どもなりに暴力的に訴える。
そのスイッチがはいったら
気分をそらすのはもう大変だ。
すごい体力と根性で、怒り続ける。
長らく続くと、最初のきっかけからは
もう遠のいてる。
きっと子どもなりにため込んできたバケツを
ひっくり返しての爆発だ。
親としては非常にめんどくさい状態。
人の前で乱れていることを
どう収集つけようか困るし
楽しく過ごしてきた時間が台無しになる。
でも
イイ感じ
とってもいい感じ
そんな場面に遭遇している人たちは
乳幼児の親からみたら
「いつかうちの子もこんな時が来るのかな」
という予習
思春期以降の親からみたら
「今のうち暴れたほうがいいよ
かわいいもんよ~」
なんて声かけする。
そのお母さんはがんばった。
よくつきあった。
えらいえらい、ご苦労様だった。
親は大変だけど
小さい子なりに
怒りを親にぶつけていい。
気に入らないことを泣き叫んでいい。
わかってほしいんだ。
ただただ、わかってほしいんだ。
そして望んでいることは案外シンプルで
ただ一緒に遊んでほしかっただけ
ということもある。
わがままにおつきあいするには
本当に大変だけど
子どもが怪獣に変身したときに
親の中にしまいこんでいた
怪獣もひょっこり顔を出してこれる。
子どものおかげで、出てくる怪獣は
一つは「私はできなかった」ということ。
「私は親に何一つ言いたいことを言えてない
言ったところでわかってくれなかった
反抗はしていない
いつも黙っていた
イヤだと思うことも
助けてほしかったことも
何一つ親に言えなかった
だからこの子は何考えているかわからないと
思われた。」
たまに
そういう気持ちを明らかにする人もいる。
「淋しかったんだ
淋しかったけど
淋しくなんかないって
感じないように
感覚を切っていたんだ」
とか、よくある話。
一度切った感覚を取り戻すのも時間がかかる。癒しが必要だ。
さて
子どもは泣こう。
親も泣こう。
聴かせてもらった人も泣こう。
そして、ミカンやバナナでも食べようか。
女将 齋藤 麻紀子
