叔父が
アパートの一室で
死後2週間で発見された。
病死だった。
私の叔母と離婚したので、
疎遠になってたが、
私はすぐに
「お葬式に行きたい」
と、言った。
いとこたちも
同じ気持ちでかけつけた。
*
幼い頃、
祖父母の家で集まると、
叔父は
口数少なく
いつもニコニコ
お酒を飲んでいて
大人からもこどもからも
慕われていた。
みんなで集まる日は、
おでんかお寿司。
子どもは「アラレちゃん音頭」の
レコードをかけ
座布団を並べてあそぶ。
女はおしゃべり。
男は麻雀。
おじさんたちは
麻雀すると
お腹がすくらしく
店屋物のラーメンをすすり、
子どもはうらやましそうに眺める。
早く大人になって
とんでもない時間に
美味しいものを食べてみたいものだと
思った。
決して子ども中心ではないけど
「大人が楽しそう」
それがうれしい。
こどもがいようがタバコをふかし
日本酒をなめていた大人たち。
私の母は
実家のやんちゃな感じには
うんざりしていたが、
堅い雰囲気の中で
育てられた私は、
親戚の
不良っぽさが
心地よかった。
私の中に
ちょっとした不良っぽさが見えた時、
この家の血が流れている、
と誇らしく思ったりもした。
*
離れていても
想っているような存在の人が
ひとりの時に急死すると、
後悔や罪悪感など
いろいろ湧いてくる。
でも
本人の最期に
より一層思いを馳せる
ということかもしれないし、
出産が家族を結びつけるように、
大切な人の死もまた
家族を結びつける。
優しくて
働き者の
おじさんは
あの時こどもだった
わたしたちの
心の中で
生き続けている。