「死」について語る時。
言葉少なに内側の深淵に潜る時。
揺れる心とともにいる時。
表に現れるのは、飾らないその人。
そこから、こそ、はじまるコミュニケーションがある。
深い会になったようです。
かめさんのレポートをご紹介!
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11月30日、「『聴く』を磨く」講座第12期の第5回目。
前回のテーマが「ネガティブな話を聴く」だったので、その流れで、「何か話したいことのあるひと、いたらどうぞ」と水を向けると、ひとりの参加者さんが手をあげました。
みぢかなかたのお祖母さんが亡くなって、そのかたの気持ちや、亡くなったお祖母さんの気持ちを思うと、いたたまれない思いになる、というお話でした。
相手の感情をそのまま自分に移してしまう。共感体質の日本人には多いパターンですが、でも、感じているその気持ちは、本当に相手と同じ気持ちなのでしょうか?
そこで、ためしにこんなワークをやってみました。
イメージで、自分のてのひらに、そのお祖母さんの魂をのせて、観察してみるのです。そして何かはたらきかけたいことがあったら、はたらきかけたり、話を聴いたり、話しかけたりしてもらいます。
誰ひとり、そのお祖母さんのことを知っているわけではありません。けれども、それぞれがそれぞれに、魂との対話を体験し、それを、そのかたに伝えました。
何よりも、そのかた自身が、「孫のあなたがそんなに悲しむとは思わず、びっくりした。私は、先に亡くなった自分の子どもと、一緒にいてやりたかったの」というメッセージを受け取ったといいます。
それと同時に、それまで感じていたネガティブなイメージが、消えていくのを感じたそうです。
もちろん、現実には何が本当のことかはわかりません。でも、どのひとのメッセージも、不思議と納得のいくものでした。それで、そのかたの気持ちも、落ち着くことができたのです。
そんなスタートだったせいでしょう。話は自然と、それぞれの参加者の死の体験語りになっていきました。
お祖母さんやお母さんなど、身内のかたを亡くされたかた、仕事仲間を亡くされたかた、お友だちを亡くされたかた…。それぞれが、それぞれの思いを語りました。
ふと、以前、私が、「死をめぐるマイヒストリー」を語ったときのことを思い出しました。私は、10代のころから、20人近い友人や身内を亡くしているのですが、そのことを語ったのです。
話し終えたあと、聴いてくれた一人ひとりから、感想をいただいたのですが、なぜか、感想というよりも、一人ひとりが、ご自身の体験した死の話をされていたのが印象的でした。
日常のなかで、死は、ある意味、タブーの域にあります。忌みごととして、遠ざけられます。けれども、本当にそうでしょうか。
私たちは、100%、いつかは死ぬのです。これまでも、すべてのひとが、100%、いのちを終えてきたのです。その意味で、死は、産まれることと同じくらい、人生の重要イベントとも言えます。
もっときちんと向き合っていい。もっとていねいにことばにしていい。死を語ることは、生を見つめること。いま生きているひとたちとの関係を、見直すこと。
気がつくと、あっというまに2時間が経っていました。いつものワークはほとんどやらずに終わりましたが(笑)、死を語りあった時間は、なかなかに意義深い時間となりました。
あ、最後の30分は、「五感を使って聴く(話す)」ワーク。こちらももりあがりましたよ!
来春、連続講座がございます。
お休み回はフォローアップへの振替。
https://coubic.com/uminoie/330090
まずは体験講座へ!
12月は26日、子連れok!
https://coubic.com/uminoie/224001