校舎を照らす青空をながめながら、
「いじめ」の世界に潜ってみました。
子どものころ、身近にあった「いじめ」は、大人になっても薄っすらと、心の片隅や、身体のどこかに記憶場としてしまわれているものだ。
9/28 Umiのいえにて
「あのころの《いじめ》と《わたし》に会いにいく読書会」開催。
https://coubic.com/uminoie/979560
ファシリテーターは舟之川聖子さん。
小説の一説をみんなで分担して読み、シェアをする。
ストーリーを読み解きながら、
いじめを受ける中学生と、とりまく人々(親・友達・先生)の心情に思いを馳せてみた。
小説の話だが、
私達も、そこにある何かに共鳴して、胸がざわざわしたりする。
「中学生の頃、いじめの暴力を目撃していたけど自分は傍観者だった。親になって振り返ると、いじめられていた子は言葉が出にくかったり、身体が小さい弱い子だったりした。その子たちにも親がいたんだなあと今は思う。なんで自分は何も出来なかったのかなあと思っている。今は、今からでも出来る事をしたいと思っている。」
「子どもに、あなたは存在していいんだよと
希望を与える親でいたい」
「加害者は被害者。まず、その子の親が癒されなければ」
読書を通して、いろいろな思いもつぶやきあい、
結論もなく
心の乾いたひだに水がしみていくような、秋の日でした。
(齋藤麻紀子)