自分の中に、痛みってありますか?
新生児訪問に行った時に、
お母さんと話す。
すごくがんばってるし、
すごくかわいがってるし、
今の生活に満足してます、
と話してくれる。
なのになんだろう、
このすっきりしない感じ。
どこか
暗さがあったり、
明るいのだけどそんな自分に納得していないような、ちぐはぐさを感じたり。
どうしたらほぐしてあげれるのだろう。
私なんて、こーんなに
こーんなに
不出来なのに
お母さんもやって
助産師もやってますよーって
言ったって、
それで力が抜けるような
簡単な話ではないのだろう。
かめさんが、
「過去の痛みと向き合っているということに
気が付いた方がいい」
と話してくれた。
何不自由なく暮らしているのに
なんだかやるせないそのもやもやを
自分が至らないせいだとか、
家族に恵まれていないんだとか
思わずに、
自分の声に耳を澄ます時間を
とれたら良いなと思った。
過去の傷ついた自分のところに行ってみるというワークをしました。
かめさんは、
病気を持った妹の世話に忙しい両親を見て、
少し心を痛めている自分のところによく戻っていたといいます。
1人で壁を見つめる自分。
つらかった自分を忘れててごめんね。
ほったらかしにしてたね。
そしてこう伝えました。
「さびしいと思っているのは勘違いだから。
あなたは愛されている。」
私も傷ついた自分がどこにいるのか探る。
新人助産師の頃、医師から椅子をぶつけられたり、分娩室で産婦さんの前で「助産師失格!」と怒鳴られた時かなー。
いや、違う。心の中でその医師に対して暴言を吐いていたが、
あんな経験くらいでは、私は自分を否定しなかったはず。私は成長してる途中だもん、と開き直っていた。
そこではなくて…そうだ、思春期の頃。
母親をものすごく疎ましく思っていた。
私のことを全て叔母に電話で話している。
その頃が一番つらかったな。
逃げたくて仕方なかった。
でも、私はその頃に戻ってみるが、
肝心の私はいない。
私は、過去の私に声をかけるほど
その過去を払拭していないのだと思う。
暴言を吐かれたわけでもなく
何不自由なく
衣食住を満たしてもらっていた。
なのになにがそこまで…
職場で怒鳴られるよりも
辛かったとは。
「その当時の言葉にショックを受け続けているというのは、ある種の呪いです」
とかめさんは話してくれました。
その呪いは、
母がかけているんだろうか。違う。
私自身がかけ続けているのだろう。
無駄なことにエネルギーを使っているなという自覚はある。
でも、そんな思いを持つのが私であり、
親への感謝ももちろんあり、
またこの痛みが、
娘への声かけを
明るいものにしてくれている。
私の傷を忘れずに、
時々ノックしてあげたい。
「人を心配すると
うまく伝わらないことが多い。
心配より信頼です。」
かめさんの言葉が、
全員をなぐさめる。
心配されるのって、
見てもらえているようで、
見てもらえていないような気がするよね。
心配してしまう辛さと
心配される辛さを
全員で
分かち合えた。
ここに来て、
参加する皆さんがぽつりぽつりと
胸の内を話してくれて、
私はとっても嬉しかったです。
秋頃、
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近日公開予定です。
そのときは、ぜひご参加ください
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