【教育にファシリテーションを】
1/14 Umiのいえにて、
青木将幸さんの「深い学びを促進するファシリテーション講座」を開催しました。
目的を目的としないことを、やってみるとどうなるだろう。
呼吸と共に歩いてみた。
ゆっくりゆっくりと。
だだそれだけで、気づきはおこる。
その人のペースで、ふっと沸きたったり、腑に落ちたり。
気づかされるのではなく、自ずと気づく。
与えられたのではなく、自分で掴んだことは、一生モノになったりする。
即興で繋ぐファシリーテションを教育に活かすとどうなるのだろう。
どうしたらできるのだろう。
どんな技術がいるのだろうか?
教師、講師、ワークショップの作り手の皆さん。
たぶんきっと、この講座に、教わることを目的に集まったと思います。
でも、講師のマーキーからは、なんの誘導もない。
何かを教えてくれるわけでもない。
ただ、「何を深めたいですか?」という問いだけでした。
そして、ぽつりぽつりと、語り出した。
保護者の立場や、授業を受ける立場の気持ちも
教育現場でおきているやりにくさや危惧していることも、
職種や立場を超えて、深く深く語り合う会になっていった。
コントロールのない世界。
自由で、何がおこるかわからない。
時間は刻々とすすむ。
でも、ファシリーテーターのマーキーはどっしりとしている。
地蔵のようにどっしりと場を鎮め、
静かにみんなの声に耳を傾けている。
みんなを信じてる。
みんなの場に任せている。
ファシリーテーションのノウハウ云々以前に、
まずは自分のあり方が問われるのだと、どこからか、受け取るモードが変わっていった。
「深い学びの場」は、
浅はかな自分では作れない。
まずは、肚の座り。待てる力。
それに尽きるのですよね。
新しい時代がくる。
教育も変わる。
多様な個性と価値観を尊重しつつ、
主体的になり、ときには一体となり、
自由であり、チャレンジすることも歓迎する。
そんな学び舎をつくるのは、とてもとても難しいことだ。
自主性と即興の学びだけでなく、
やる意味がわからなくてもやり続けさせる「型」も必要だ。
しめること、ゆるめること、
教育にはどちらも必要
そのタイミングを察する「たおやかさ」を磨くことが、何より大事なことなんだ。
さあて、集まった人たち。
一日共にして一期一会の同級生。
この先、それぞれ、どんなことがおこるか、お互い楽しみですね。